2022.01.25プロフェッショナル

俳人・夏井いつきさん その2

たった17音の
言葉が持つ力を信じる夏井さん。

『言葉でしか人と人とはつながれない
誰かと誰かが分かり合えるのは
言葉以外にありえない。
それはもう事実としてそこにある。
その事実だけに打ちのめされたのです。
私は』

そう考えるようになった原点は
中学校の国語教師をしていた20代に
暴言と暴力が絶えない
問題児を受け持ったこと。

その生徒と格闘を続けるうち
夏井さんはあることに気づいたそうです。

『暴言を吐いたり手を出したりするのは
自分の思いを伝える
言葉の技術がたりないからだ。
「ああ、本当に言葉ってこれは
大変なことなんだ」と思って
そういう子たちが世の中に山のようにいて
自分は本当は別のことが言いたいのに
そういう表現になっちゃう。
それはもう大変な困難だと思って。
自分が考えたことを
ちゃんと自分の伝えたい意味で
伝えたい熱量で
「相手に伝えることのできる言葉の技術」
それをちゃんと教えておいてやらないと
「この子たちは社会に出て行ったら
同じことを繰り返すんだ」と思って。
言葉の技術をいろんな形で伝えたい
ちょっとでも育ててやりたいって・・・』

 

『沖縄の方の言葉で、命の薬と書いて
「ぬちぐすい」と読む。
「美味しものを食べること」
「こころが楽しいことをすること」
私は俳句を作ることで
命の薬をもらっている。
そして、自分が俳句という
一つの作品を残すと
それがまた誰かの「ぬちぐすい」になる。
俳句はそういう効果を
お互いにやりとりしながら
みんなが幸せになっていくような
そういう力を持っている文芸なんだなと』

 

『自分のために俳句を書くんだから
俳句のために
自分の思いをゆがめるのは違うと思う。
頭で空想で作っていると
カッコいい言葉見つけたから
本当はこっち表現したかっんたけど
でもかっこいい言葉が見つかったから
いや、いいやそっちでもとかって
最初の思いを捨てて
言葉の方に酔ってしまう。
心が無かったら
言葉探してもしょうがないから』

 

『俳句が生まれる瞬間
一句がきれいな球になってくれる。
水の球が空中で
きれいに丸くになるじゃない
あんな感じ。
露の球みたいな一句が
こんな大きい時もあるし
こんなここから先くらいの
小さい結球した作品のこともあるし
ちゃんと自分の喜怒哀楽とか
この時に自分が何を思ったとか
そういうのが全部きれいにパッキングされて
一句としてこうやって
「あうまく結球した」って
ぴゅって放つ感じ。
どうぞって。
もう自分の力でこの球は
フワッて飛んでいける。
結球した瞬間はなぜかわかる』

 

『俳句って真剣な遊び
真剣に自分の心と体を喜ばす真剣な遊び。
私は一生真剣に遊び尽くす』

 

「吾は父の宝であった秋の雲」

「ふるさとや厄日の海の青い青い」

「肩も首も背も秋声というボキボキ」

「鶴を抱くような余生を楽しまん」

 

考えてみれば
藤井聡太竜王や大谷翔平選手など
才能を思う存分発揮されている若い皆さんも
自分の好きなことで
真剣に遊んでいるような気がします。

そして、個人的にもう一人
言葉のプロフェッショナルといえば
中島みゆきさん。
ジャンルは違うのに
私の中ではお二人が重なるのです。
みゆきさんがもう69歳という
その事実に驚きますが
デビュー当時から聞いています。
みゆきさんについては
また改めて。

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