2021.02.15ゆる日記
見たいものだけを見ている
ここ数日、暖かい日が続きました。
春の気配も感じられます。
残念ながら、ピンぼけしてしまいましたが、
梅の花もだいぶほころんで来ました。
そのうちウグイスの声も聞けるかな。
子供の頃、わからない言葉があると
「辞書を引け」と言われて
中学生になると
『広辞苑』(岩波書店 国語辞典)
のお世話になったものです。
紙の『辞書』『辞典』って
まだ現役なんでしょうか。
電子辞書が主流になって
そのうち教科書もデジタル化されて
重いランドセルを背負って通学・・・なんて
今昔物語になる日も
そう遠くないかもしれません。
「紙の辞書」は目的の言葉を探すうちに
いろいろな単語が自然と目に入って
知らない間に読んでいることも・・・。
言うなれば「寄り道」や「道草」。
インターネットで検索すれば
ピンポイントで調べたい事がわかります。
寄り道も道草もしないで結果が得られる。
もし、寄り道したとしても
「興味の範囲内」かな。
塩野七生さんが
ユリウス・カエサルの言葉として
「人間ならば誰にでも、
現実の全てが見えるわけではない。
多くの人たちは、
見たいと欲する現実しか見ていない」
という言葉を引用されています。
過去に検索したキーワード・閲覧履歴から
ユーザーの興味・関心を判断し、
関連するニュースや
ブログの記事を表示したり
広告が配信されるデジタル情報の世界。
興味も関心もない事に触れるチャンスは減り
自分が賛成する意見ばかり目に入り
自分と反対の意見は知らない間に排除。
ますます、自分の見たいものだけを見て
聞きたい事だけをを聞く傾向が強くなるのでしょう。
簡単・楽・便利を追求した結果
「体力」
「我慢する力」
「待つ力」etc・・
たくさんの力を失って
とうとう
「自分で考える力」
「多様を許容する力」
まで失くしてしまうのは
本当に恐いことだろうと感じます。
1970年代後半「トラック野郎」という映画が流行りました。
電飾と極彩画で飾られた長距離トラック。
映画はちゃんと見たことはありませんが
トラック運転手さんのイメージは
とりあえず「オラオラ」系の怖い感じ。
まだうら若き20代の頃
荒い運転のトラックを見かけた時に
「またあんな乱暴な運転してる」
「トラックってあんな人ばっかりなんやね」
と言ったんです。
そしたら、同乗していた人が
「時間までに荷物届けんとあかんからね」
「無理くり走らな、間に合わんとえらい目に合う」
と教えてくれました。
理由があってそうせざるを得ないことって
たくさんあるじゃないですか。
でも、その時の私には
「乱暴な人たち」としか見えてなかった。
今でも教訓として記憶に残っています。
年齢を重ねると頑固になるから
いろんな事情や見えない背景を抱えて
人は生きていることを
忘れないでいたいと思います。