2020.03.08ゆる日記
「みぃして」
鯛のお頭3個付きの「あら」を200円で購入。
ギリギリまで身をそいである。
さすがにプロだ。捌くのが上手い。
でも、もうちょっと大雑把でもいい。
その方が、身が残ってて嬉しいんだけど😓
「あら」って安いし、煮ると美味しい。
特に顔周辺。
さあ、食べよう。
丁寧に表裏ひっくり返して身を探す。
鯛の骨はごついのでわかりやすいが
あらには「うろこ」が結構残ってるから
気をつけないと口の中で
「しゃごしゃご」する。
恨むような眼玉や
ギザギザ尖った歯を見ながら
食べるための細かい作業をしていると
工業製品のような「切り身」と違って
「命を頂いている」という実感が湧く。
ちまちまと食べることに集中していたら
ふと遠い昔のことを思い出した。
もう、40年近く前になるが
「有無を言わさず全寮制」
だった頃の看護学校時代の話。
(そう言えば以前ちらっと書いてほったらかしにしてた)
看護学校は病院の敷地内に併設されていた。
4階建てで、1階と2階は教室や実習室。
3階と4階が学生寮。
(多分プライベ―トって言葉はなかったね)
朝食は、持ち回りの当番さんが各部屋に配るパンと牛乳。
昼と夜は、病院の入院患者さんの常食と同じメニュー。
病院の厨房から運び込まれた大量の食事を
給食当番さんが食器に取り分ける。
食事が唯一の楽しみといえる患者さんが
それを食べていたことを思えば
文句を言ってはいけないのだが
当時の病院食は、質素&美味しくなかった。
(保温配送車や食事時間の改善などもあり
昔に比べて、ずいぶん良くなったと思うが
それでも、1日の予算の制限もあるから
今も、そんなに贅沢は出来ないだろう)
当然、お安めの魚がメインディッシュに並ぶことが多かった。
牛肉なんて滅多にお目にかかれなかったような気がする。
ある日「またこの魚~?」などとぶーたれながら、夕食を食べようとしていたら、
隣に座ったクラスメイトが
「みぃして」と言ってきた。
和歌山県は縦に長いので
方言も北と南ではだいぶ違う。
「みぃしてって何?」って聞いたら
「骨取ってもらわんと食べられん」とのたまう。
「みぃする」=「身をほぐす」ということで
和歌山市では「標準語」らしかった。
そういえば、田辺市は海の恵みが豊富。
魚の骨なんて、小学生でも自分で取って食べる。
そのクラスメイトが特別だったのかもしれないが、「みぃする」という言葉と
「自分で骨を取れない18歳」の存在に、ちょっとしたカルチャーショックを受け
今でも、その情景が記憶に残っている。
今の子どもたちは、どうなんだろう。
切り身で売ってるし、捌くのもお願い出来る時代。
もはや、大人でさえ「みぃする」ことはないのだろうか。
ネコでさえ、カリカリ(キャットフード)の時代だもの。
「おさかなくわえたドラ猫」も
それを追いかける「サザエさん」も
記憶の中の、昭和な幻想なのかもしれない。